≪MARCH 2009 from MACHIKO WATANABE≫
『2008年 パリ クリスマス』

パリのクリスマス
コルレットのディスプレイ
ディスプレイ
2008年11月、パリの街は白く輝いていました。25周年のスクールのイベントが終わり慌しく準備をしてパリに飛び立ちました。

11月の終わりに近いパリの街はすっかりクリスマスモードに彩られていました。至る所にパリのエスプリを感じさせるテイストが散りばめられていると実感しました。
アメリカから広がった世界恐慌の只中、一時的であれクリスマスだけは特別に、という華やかな雰囲気が溢れていました。
しかし、シルバー一色のライトアップで映し出されたシャンゼリゼ通りをはじめ、全体にシンプルでシックでした。中でも黒一色のツリーにはびっくり!!
             
ヴァンドーム;
ラファイエット
ヴァンドーム広場のツリーは白一色。サントノレ通りのイルミネーションはゴールド一色でしたが、全体にディスプレイは白色黒色のモノトーンを基調にして統一されていた感じがしました。

そんな中クリスマスの数日前は多くの人でごった返すというコルレットのデイスプレイは、一足先に春を思わせるプリント模様のワンピースにファーのボレロ。私のお気に入りの一枚です。

パリ一大きいラファイエットの吹き抜けにはどの階からでもみえる巨大で華やかなツリー、このデパートの空間に似つかわしいゴージャスなものでした。

しかし私は古くて小規模なボン・マルシェのほうが好きです。雪混じりの雨の中、美術館やいろんな通りのお店を覗いたり、マルシェで地元の人達の買い物の様子をチェックしたり、地下鉄のトラブルにもめげず、いろんな線に乗り換えぶらぶら歩きまわるのです。

パリには個性溢れる店が点在する魅力的なストリートがいくつもあります。その中でも今回お勧めなのは北マレ地区にあるフラン ブルジョア通りです。古い貴族の館が数多く残りピカソ美術館もありマレ北マレはどのお店もわくわくします。次はまた違う季節に訪れ新しく素敵な通りを発見したいです。

【渡辺 まち子 さいたま】





<<JANUARY 2009 from YUKIE SATO>>
『〜まだツボミな私〜』


イギリスのレッスン風景
イギリスでのレッスン風景
「あの道を行けば何が見える 行けば分るさ 迷わず行けよ 1・2・3 ダァー」のアントニオ猪木の名台詞に心を動かされ、幼稚園の仕事を辞め花留学した2007年。イギリスでの2か月は、たまに気がゆるんだアレンジを作ると「ここやり直し!!」とマーヴェリー先生の一言。
いつもは、振ったり、花をかき分けてチェックしないのに〜。と全てお見通のマーヴェリー先生と新婚で留学してきたのに「夫に会いたいなぁ」と言ったことがなく「ビール、今日も飲もっか?」の新妻かずえさん。おかげ様で伸び伸びと上級コースを学ぶことが出来ました。週末は手作りサンドを持ち公園・美術館に出かけたり、先生を通して仲良くなったSUEさん(イギリス人)宅に招待され、一緒にランチを作り家の中を案内していただくなど言葉がうまく通じなくても心は通じ合うと実感しました!今でも、カードを送りあっています。また、インストラクターのマダムが3人合流した時には、キュウリにタラモディップを付けながら人生の貴重な話を聞かせてもらう等、素敵な出逢いを重ねてきました。コッツウオルズにある津川先生のアトリエに訪れた時には、押し花を習い、おにぎりランチをご馳走になりました。そして最後にモグラが教室を横切って行きました。モグラが地上にいるなんて・・・ 留学したことで視野が広がると共に、出逢えた人からパワーをもらいました。それが自信にも結び付き お花の課題にもスムーズに取り組むことが出来たと思います。
余談ですが、イギリスといえば、「フィッシュ&チップス」 お酢を大量にかけると美味しいのですが、マックのチキンナゲットにはお酢があいませんでした。
帰国後、トレーニングコースの熱い4日間を受講し、インストラクター資格を取得しました。

エジプト
その後、エジプトを2週間バックパッカーしてみることに!JICA(海外青年協力隊)をしている知り合いの家に泊めてもらったり、活動している保育園にも行き、ちょっとした手品を披露して子どもの心を掴んだ私。他に、砂漠にあるオアシスの村では仕事がない女性のためにお土産作り等を教える隊員もいます。ここで出逢った人たちは自分の出来ることを見つけて毎日を悪戦苦闘していて輝いていました!
私はその村でストが起き8時間で帰れるところを3日間かけて迂回し、旅のだいご味を経験しました。エジプトは砂漠のイメージが強いですが、紅海はダイビングが出来て沖縄の様なサンゴ礁を見ることができます。同じボートにいたロシア人が糸と針だけで、‘ハギ‘を釣り上げると「キュ〜キュ〜」と鳴きだし、その時は国を越えて「Oh〜〜」の同じリアクションでした。でも、ハギはよほど痛かったんだなぁと思いました。
エジプトの子どもたち
エジプトの子どもたち


現在は、小学校で臨時職員をしながら友人のウエディングブーケを作ったり、12月には交流のある障害児施設でフラワーアレンジ体験を開きました。今はまだ、色々な経験を楽しみ花人生の土台を踏み固めているところです。徐々に明白になってきている目標は、基本は教育関係で働き時間をつくってボランティアでお花遊びを伝えていくことです。これが実現出来たら、ワンステップ上げていくつもりです。こんなことが出来るのは、ポジティブアドバイスをくれ、あたたかく見守ってくれる薫先生のおかげです。ありがとうございます!いつか、私も咲きますから・・・




【佐藤 祐喜江 横浜 新羽教室】



<<OCTOBER 2008 from NORIKO TOMIYAMA>>
『花を“仕事にする”ということ 〜私の場合〜』


ロンドンで、タエコ・マーヴェリースクールに通い始めたのは2002年秋から。お花は学ぶほどに面白くなり、結局マスタークラスまで通うことに。その後、帰国前の短期間ではありましたが、お教室のお手伝いを少しさせて頂きました。

芦屋の美容室での活け込み
芦屋の美容室での活け込み
そもそもロンドン滞在は、夫のMBA修得のため。初めは、東京で仕事をしている際にかじっていた日本語教師の勉強をロンドンでも続けようと学校を探していました。でも、気がつくとフラワーアレンジメント教室の扉を叩いていた・・いうわけです。
何かを「好き」だという気持ちは、自分でも考えられないほどのパワーを生むようです。地下鉄、バス、National Railを乗り継いで、ハムステッドからサウスクロイドンまでの一時間ほどの距離をほぼ毎日通ったのですから。レッスンや練習が夕方近くまでなってしまうと、夕飯の支度を心配してくれる仲間がお掃除を代わってくれて、サウスクロイドン駅までよくダッシュしたものです。あの静かな駅付近であんなに足音を立てて全力疾走している女性は私ぐらいだったでしょう(笑)。

帰国してから早4年、芦屋で教室を始めてから3年はあっという間に過ぎていきました。思えば回りの方々の理解に助けられ、生徒さんに育ててもらった3年間。考えれば考えるほど不思議な境遇。夫の仕事が神戸に決まり、親戚も知人もほぼ皆無という土地で自分が教室を開いた上に、さらには会社まで興してしまうとは。

「ジアン」とのコラボ
仏食器メーカー「ジアン」との
コラボレーション
約2年半の間コツコツとお教室や個人の活動に捧げてきた昨年の11月、私はある節目を迎えました。これをきっかけに同年12月に会社を立ち上げ、毎日奮闘の日々です。「経営」というのは難しいものですが、心から信頼できるパートナーや私の気持ちに賛同しサポートしてくれる友人、生徒さん達の信頼が私の原動力、そして心の支えとなっています。まだ立ち上げたばかりでどこまでもつかもわからないような状況ですが、ここで得たものはいずれ、これまで支えてきてくれた仕事のパートナーやスタッフ、また、付いてきて下さった生徒さんたちと共有または機会として提供できたら、それが本当の「はじまり」だと考えています。

レッスン風景
三宮(神戸)のタワーマンション最上階での
プリザーブドフラワーレッスン風景
なぜ自分の活動を個人としてではなく敢えて法人化したのか。
お花を生涯教育と捉えて趣味として学ぶという方もいらっしゃれば、お花の仕事がしたい、プロになりたいと考えられる方もいらっしゃいます。どちらにしても「お花」という世界に興味があることに変わりはありません。どちらの方にお花を学んでいただくにしても、人を指導する立場の人間として、また一人の経営者として、自分の頑張っている姿を見てもらうことが、一番その世界を知って頂くいい方法だと考えました。単なる技術やうわべの美しさではなく、本当の仕事の厳しさ、楽しさ、やりがいなどを学べる場所を作りたかったのです。技術や情報を小出しにするのではなく、学ぶ準備がある方々に対して、常に100%の力で接していきたいと考えています。そうやって上下の関係なく、互いに切磋琢磨して成長していける組織であることを理想としています。
某企業の花装飾
東京某企業の花装飾

会社では、何か問題があればトップの責任になります。何の言い逃れもできません。社会的責任を負うということはそういうことで、会社を興すということは楽なことではありません。でも、敢えて自らを厳しい立場に置くことで、自分自身の真の役割が見えてくると信じています。そして、成功した時の喜びややりがいを仲間と分かち合えたら、こんなに嬉しい事はありません。
お花の世界というのは、まだまだ色々な意味で古い体質の残る場所のようです。そこに横たわる難しい問題なども多くありますが、花の世界にどっぷりと漬かったことのない私には、なんの先入観やしがらみもなく、新しいアプローチで生徒さんやお客様方に喜んでいただけるサービスを提供していけるような気がしています。そのために日々努力、精進しています。
これから一生お花だけで生きていくかはわかりませんが、自分や回りの人たちの可能性を広げる努力を、私は花を媒介にこれからも続けていきたいと考えています。


【兎耳山 紀子 芦屋 フローラル・デザインスクール ル・フレール


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